元気かな軍曹。前回はラホールからだったね。
6月25日やっとイランに入ったのだ。パキスタンにも約2ヶ月滞在したことになる。
ラホールから後はラワルピンディへ。そして北部の山岳地帯に向かった。
中国ボーダーに通じるカラコルムハイウエイだ。
中国に行くつもりは無いし、この道を往復とも走るのはナンセンスなので
ラワルピンディからバスに乗った。インダス河沿いをうねうねと続くこの道路は
中国の協力で作られたくさんの人が死んだという。
確かによくもまあ、こんなガケっぷちに道をこしらえたもんだと思うほど
険しい所だ。インダスの濁った水を見ながらどんどん標高は上がってゆく。
周りにはすでに7000m級の山がそしてひとつの8000m級のナンガー、パルパット
も見えた。

そしてギルギット、フンザに着く。この辺りは長寿の里と呼ばれ、90〜100歳でも
元気な人々が多いのだった。パキスタン側イミグレーションオフィスのあるススト
という村までバスは進み、そこからは約100q先のクンジュラーブ峠を目指して
チャリを漕ぐ。峠の向こうは中国なのだ。

パスポートチェックのあるディーの村で役人に、こっから先は国立公園だからキャンプ
禁止!と言われる。パスポートも取り上げられ、帰りに渡されると言う事だ。
その地点から峠まで55qで、つまり1日でそっから峠までを往復しないといけない
と言うことだった。 ちいっとキツイのでは・・・・・・と思いつつ、
その日はそこでキャンプし、次の日早朝走り始めた。
しかしインドから続く、1ヶ月以上も長引いている下痢による体力低下と、またしても
高山病の為激しい頭痛で悪戦苦闘。かなりグロッキーになったところ、峠手前20q
あたりから、とどめを刺すように急坂になった。そしてあと10qの所でついにダウン。
もう1歩も動けて堪るかっ!てな感じでギブアップ。
本当に残念だったが引き返す。頭痛は下ってゆくとほっといても治るが、
下痢にはほとほとまいっていたので、途中の村で病院へ。
何せ田舎なのでここでは治らず。後にチョットした大きな村で
診てもらい薬を飲んだらぴたっと治った。

ギルギットやフンザは下の暑さに比べ涼しく気持ちの良いところだった。
カラコルムハイウエイから診た周りの景色はネパールのトレッキングを
思いださせるもので自分は好きだ。
そしてその後イスラマバードに下る。ここはキャンプ場もあり安くて快適。
つい2週間も滞在してしまった。

パキスタンはイスラム国だが、なんと酒を製造しているのだった。
大きなホテルにあって、買うにはリカーパーミットを役所で取る必要がある。
オレはそいつを取ってたまにはビールを買っては飲んでいたのだ。
それとか恐ろしいことにラホールやイスラマバード、北部一帯にはあの
マリファナがいたる所にいっくらでも生えている。
もちろんキャンプ場内にも大きな顔して生えていて、
白人達は取って乾かしてはやっているのだ。
あんなもの取るな触るなという方が無理な話で、
町の公園でも駅前の植え込みにもあるのだから・・・・・。

イスラマバードからはクェッタを目指して南下。
この辺りになるとかなり砂漠になってきて、町と町の間隔が長くなってくる。
ある日走行中に後ろからやってきたミニバス(ハイエースの乗り合いバス)が
すごいスピードでオレを追い越しざま、チャリに接触。
地面に叩きつけられるように転倒。幸いそこにも砂がもっこりとあって
ショックはやわらいで継承で済んだ。
バスはそのまま逃げて行った。通りかかりの人に助けてもらい、
なんと目の前にあった病院へ行く。トゥクリップが足から抜けなかった為
少々くじいたり少しすり傷の程度で問題無かったが、
一泊してゆけと言われそこで泊まった。
バスのドライバーが憎らしくもし見つけたら半殺し・・・・いや99%殺してやりたかったが
他の人におつりが来るくらい親切にしてもらったので我慢できた。

そしてアフガン難民キャンプの多いクェッタへ。
この辺りにはライフル持った連中がごろごろしていてうっとうしいのだ。
ここから西のイランボーダーまで600q。
完全な砂漠だ。考えた末やはり汽車のキップを買った。
汽車の中から見える道を見て、この暑さと水の補給などを考えると、
こりゃ死ぬなとと思った。

約30時間でボーダーの町タフタンに着く。
ここでは手に抱え切れぬ位のイランリアルを持つ男どもが
「チェンジマネー」と言ってヤミ両替を迫ってくる。
公定は1$=70リアルでヤミだと最も良いテヘランなら
1$=1400〜1500リアルで何と20倍の」レートである。
ちなみにタフタンは1200リアルでチョット悪いのだが50$チェンジした。
イラン入国時にはヤミ両替防止の為、外貨申告をする義務があるが
現在は形だけなのだ。誰も銀行なんかではチェンジしないし向こうも判っている。
ヤミのレートが新聞に載ってるくらいだから・・・・。
しかしヤミ両替する分のUS$は申告する訳にはいかず、
これは隠し金としてクリアしないとイカン。靴に隠して無事通過した。
荷物チェックも割と甘く、問題なし。

イランでは車は右側通行。ちょっと調子狂うのだ。
パキスタンでは大して問題無かったのだが、同じイスラムの国でも
イラン内で短パンなど絶対ダメだ。もしポリスに見つかれば
鞭打ち刑に処せれれる。本当だ。
女性は頭を覆うチャドルをしないといけないし、旅行者も例外ではない。
ビザを取るのが困難な為、白人ツーリストは少ない。
ワシら日本人は不要。後はユーゴスラビア、シンガポール、トルコ・・・・
他の少数の国に限られている。

イランに入って最初の町、ザヘダンに向かって走ってると熱がカッカ出ていや〜に
だるくなり、あと35qの所で気分悪くなり車をヒッチ。
ホテルになだれ込み、4日間寝たきり老人となる。
どうもこの頃体の調子が悪いのだった。

ザヘダン〜バム〜ケルマン。
ここも完全な砂漠でこっちは頑張って走りたかったが、
この調子ではダメだと思い、またバスで移動。
もう無理はするまい。やはり健康でないと弱気になってしまうのだ。

今はイランの真ん中あたり、イスファンという結構大きな都会にいる。
しかしこっちは物価が安くて助かる。今のホテルでも結構良いのだが、
一泊2000リアル。200円弱なのだ。
コーラは8〜10円、ハンバーガーは20〜25円。
レストランでステーキ食っても180円という具合だから笑いが止まらぬ。
五つ星の高級ホテルに泊まっても7000〜8000リアルだから800円位で
リッチな部屋に泊まれる訳だ。ただワシのような汚いサイクリストが
行っても断れれてしまうのがオチだ。チェックインの時位は小ぎれいな
格好でないとダメ。それか予約をTELでしてしまう事なのだ。

イランの街はたいがい公園があって噴水などもあり綺麗に仕上がっている。
どこに行ってもホメイニの顔が見られる。女性はほんと美人が多いが、
皆黒いチャドルですっぽり全身を包んでいる。しかし顔は見せているのだ。
パキスタンでは全く顔も見えないようにしている者が多かった。

街には必ず大きなモスクがあり綺麗な飾りを施してある。
オレらでも中に入れるのだ。人の服装や店の商品などパキスタンに
比べてかなり“西洋的”なイメージを受けるのだ。

これから後テヘランまで走り、そっからカスピ海の方に行って見ようかと思う。
先日そのカスピ海方面に地震があったようだが、5万人?死んだんだっけ?
かなりこっちのテレビはその様子を映し出していた。
まだ余震が続いているようだが・・・・。
たぶん7月いっぱい位はイランに居て、8月上旬にはトルコに入ると思う。
トルコに行くと物価はポ〜ンと高くなると言うし、チョット嫌だがいつまでも
イランに居る訳にもいかないしね。

また何か話題があれば、今度はイスタンブールまで連絡くれるかな。
たぶん8月下旬までには行けると思うが、何せチャリンコのペースだか、
ハッキリとは判らないわい。

もう日本も夏。
バイクのシーズンだな。流石にこの時季は北海道が恋しくもなるね。
もうさぞかしライダーが走っている事だろう。
オレもまだヨーロッパまでは長い道程である。
もう日本を出発して8ヶ月。少々疲れも出てくる頃だし
身体に気を遣ってやらなければ。
何しろインド、パキスタンで特に胃腸に負担をかけたもんな。
これから先は水も大丈夫だし、そんなに下痢には悩む事も無いだろうと思うと安心だ。

軍曹もこれから暑くて仕事大変だろうがしっかりな。
ところでトルコの宛先は・・・・・・


C/O  G.P.O
ISTANBUL  TURKEY

では今回はこれにて、さらばじゃ!

7/3 ペルシャホテルの一室にて

戸川謙一より





戻る        TOP