『軍曹の貧乏旅行』

              冬の北海道   其の一


 1989年(平成元年)〜1990年にかけての正月休みを利用して、北海道にツーリングしてみた。雪道を走るのは初めてだし、雪中キャンプも初めてと未知な事ばかりで自ずと期待が高まります。なんでもそうですけれど“初めて”体験する時ってワクワクするものです。冬の北海道へ出発するに当たっては、今までの装備だけではいささか心許ないので、冬装備を支度しました。

 ゴアテックスの上下・・・・・・・・・mont bell ドロワットパーカ&パンツ
 シュラフ・・・・・・・・・・・・・・・・・・3シーズン用(米軍シュラフの中に使用)
 登山靴・・・・・・・・・・・・・・・・・・・冬山用(meindl)
 ゴアテックスシュラフカバー・・・ヘリテイジ
 テント・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ダンロップ V−300
 フリースジャケット・・・・・・・・・・・patagonia

 結構な金額になりましたが、この時揃えた装備はその後も雪中ツーリングや、登山などで今でも活躍しています。(やっぱりイイ物買えば長く使えますネ)あと忘れていけないのはスパイクタイヤ(当時はまだ規制前でした)です。これは日本一周でお世話になった帯広の戸川謙一さんが、厳冬期北海道ツーリングに使用したときの物を譲ってくれました。(この時戸川さんは帯広の金市荘を飛び出し、タイからエジプトまで自転車の旅に出発したのです)

 化繊のタイツと厚手の毛糸靴下の上にモトパンを履き、そのまた上にドロワットパンツを履きます。そして登山靴を履いてスパッツで足下を固めます。化繊の長袖Tシャツにフリース、タウンジャケット(中3の時母が買ってくれた物)を着て、最後にドロワットパーカを着用します。 顔にはスキー用のフェイスマスクをして走行中はこれで充分でした。 寝るときは登山靴とスパッツ、ドロワットパンツを脱ぐだけで、ほぼ走ったまんまの格好でシュラフに潜り込みます。これがこの時の真冬装備で、このパターンが以降の雪中ツーリングの基本パターンとなりました。

 
  野上峠

平成11年12月28日
 17:00に仕事が終わり大急ぎで帰宅してセローに跨って、WINDにチョット寄って出発した。23:00発の近海郵船“まりも”に乗船しなくてはいけないのだ。菊川I.C.から東名高速道路をアベレージ80q/hで巡航(リヤにスパイクタイヤ2本乗せてあるのでポジションがキツイ!)。

 菊川I.C.から有明埠頭までの高速道路をスパイクタイヤで走るわけにもいかず、ノーマルタイヤをはめて、スパイクタイヤは荷物の上にくくりつけてあるのです。釧路に上陸したらタイヤ交換をして、市内の梶原さん(会社の先輩)の実家に預かってもらう手はずを取っておきました。 首都高で一度分岐を間違えて、22:30を廻った頃フェリーターミナルに到着した。品川の佐藤さんが缶酒とつまみを持って、僕の到着を待っていてくれた。いやぁ嬉しかったね。

 出航30分前に着いたので、当然みんな乗船は終わりもう誰も居なかった。(後で母が言うには近海郵船から22:30頃家に電話があったそうだ)急いで乗船し一息入れようと、佐藤さん差し入れの缶酒を船内の階段に腰掛けて呑んでいると、隣のおじさんが声を掛けてきた。そして反対に座っていた19歳くらいの男の子と一緒に呑んだ。男の子は釧路の実家に2年ぶりに帰るとのこと。おじさんはその昔憲兵で樺太で露助と一緒に酒を呑んだそうな。露助はドでかいグラスにウオッカを並々注ぎ、それを一気に飲み干しそれと同量の水をまた流し込むそうだ。何度も何度ももそれを繰り返し、雪の降る中コートを着たまま道端に寝てしまうそうだ。

 更にもう一人出稼ぎ帰りの威勢のいいおっさんが加わり、俺は昔領海侵犯でサハリンに連行されたことがあると言って言葉で襲ってきた。根室の漁師だ。午前2時頃までおじさん達の話を聞いて、風呂へ入ってやっと寝た。沖縄−鹿児島間のフェリーみたいにもの凄い人、人、人で寝返りも打てない。隣で寝てる人が寝相の悪い人で大変困った。




フェリーターミナル駐車場でスパイクタイヤに交換作業

12月29日
 今日は1日中フェリーの中である。東京−釧路2等客室、バイクも積んで\20600也。正月ということもあり、子供連れの家族や出稼ぎ帰りの男達が多いが、中にはオートバイで来た大馬鹿野郎も5人いた。トライアル2台、セロー1台、DT200R1台。朝飯、昼飯共にカップヌードル。波は穏やかで揺れもほとんど無い。皆朝からビールを浴びている。船内は暖かく裸足にスリッパ。デッキにでてもそんなに寒くはない。21:00にそばのサービスがあり頂いた。23:00頃寝た。

12月30日
 後2時間ほどで釧路に入港する。長かったぁ。やっと北海道に着くかと思うと嬉しくて、頬の筋肉が緩んでしまう。出稼ぎ帰りの男達が女房・子供に会えると、ひげを剃り髪をなでる。男達は威勢が良く、1年間貯めた金を持って自分の家に帰る。私は冬だ冬だ!北海道だ北海道だ!とバイクに跨る。いざ行かん。冬の北海道!

 いざ行かん!と勇ましく下船したのは良いが、フェリーターミナル駐車場でいきなりのタイヤ交換。バイクを雪の固まりに倒し、タイヤを外す。スパイクタイヤが硬化していてホイルにはめるのが大変。バイクが倒れているので、シャフトをスイングアームにはめるのにも苦労したが、なんとか作業終了。早くも汗をかきました。近くの食堂でカツカレー大盛り\720をかき込む。

 梶原さんが書いてくれた地図を頼りに、梶原さんの実家を探したんだけどなかなか見つからない。地図には“みどり寿司”の裏にあると書いてあるので、その寿司屋を探すが見つからない。近くで“みどり寿司”を尋ねたら番地が全然違う。おかしいと思ったら“みどり寿司”は最近移転したらしい。梶原さんのお母さんに突然の来訪を詫び、ノーマルタイヤを預かっていただいた。荷物も軽くなりやっと出発。半日つぶれてしまった。

 R391を標茶方面に向かう。釧路湿原を横に見ながら、除雪された国道を快適に走る。標茶町五十石駅の反対側に林道らしき道を発見し突入してみた。圧雪とアイスバーンの路面でトラックの轍がある。時は15:30。林道脇に空き地を見つけ、本日の野営地とする。

 雪を足で押し固めてテントを設営し、装備も仕舞いSTBラジオを聴きながらウイスキーをやりつつ飯を炊く。17:00にはもう真っ暗になった。おかずはサンマ缶とトマトスープ。辺りは物音一つせず、米の炊けるゴトゴトという音が頼もしい。 水は貴重の為、米は研がずに炊いたが旨い飯が炊けた。18:30頃寝た。



林道脇空き地でキャンプ

12月31日
 大晦日。5:30起床。朝方3時頃テントの近くを動物が歩く音がしてビビった。気温は−4度。10:00出発。R391を北上する。途中林道を見つけチャレンジするも、あっけなく敗退し再び北上を続け、今回最初の峠となる野上峠にさしかかる。峠のずっと手前より路面はアイスバーンとなった。標高はそんなに高くはないが雪がかなり降っていて辺り一面真っ白だ。峠頂上でパンとチョコレートの昼食を摂る。

 峠を下り除雪されているか心配な道道へ曲がって、札弦に向かい清里町を通過し斜里町に入る。しばらく走ると懐かしいオホーツクの海が現れた。海岸沿いの凍った路面と、深緑色の海、灰色のどんよりした低い空が厳しい冬を連想させる。

 やっと今回の目的地ウトロについた。ガソリンを満たし、食料をAコープで仕入れる。白菜、ネギ、豚肉、乾パンを調達した。小高い丘の上に雪が積もって真っ白な国設ウトロキャンプ場がある。そこが今日の野営地だ。ヘリテイジのテントの先客がいた。ヒッチハイクでやって来た青年である。その隣に張らしてもらう。3時ころ設営終了。

 本日のディナーは豚肉スライス300gとシメジ、エノキ、ニラ、ネギのしょうゆ味ゴッタ煮である。ヒッチハイクの青年のうどんにも分けてやる。彼はヨセミテなどでロッククライミングをしてきたそうで、この後羅臼岳から知床岬まで縦走するそうだ。いつもは横須賀市で遺跡発掘のアルバイトをしているとの事でした。22:00頃まで話をし22:30に寝た。今夜は暖かくガッカリしたが、彼と話している間に鍋の中身は凍り付いていた。


根北峠


【其の二】 

 TOP      戻る