『軍曹の貧乏旅行』

旅の原点  塩の道街道


僕が18歳の時、セドリックへ毛布を放り込んで単身日本海まで出掛
けたことがある。その帰り道に杖突峠から兵越峠へ下るR256を選ん
で走ってきた。その時からこのルートが大好きになりました。

 1991.8.13〜8.14


 
冷気の残る朝6:00に出発。交通量もまだ少ない道を走るのは気持ちいい。
掛川−森−春野−を抜けR362を右に折れて春野町役場を過ぎた久保田より、
阿字山林道で一気に天竜スーパー林道へ駆け上がる。
タイトコーナーの連続であるが全面舗装済み。
 登りはじめは雲を見上げていたが、途中で雲の中に突入してからは、
下から沸き上がってくる雲から逃げるように走ることになった。
天竜スーパー林道もだいぶ舗装された。
山住神社とロックフィル式の水窪ダムでバイクを停めて一服した。
まぁダム湖で綺麗なところは無いね。兵越し峠に行くまでいろんなダートを走った。
峠の手前の道を真っ直ぐ走るととんぼ天国がある。
昔は水窪小学校大嵐分校であったが、
現在は登校拒否児童などが学ぶとんぼ天国になっている。




街道沿いの雑貨店

 
南信濃村に入るとフォッサマグナの露出した、青い色をした
崩れた山肌が見えてくる(青崩峠と言われる位だからね)。
ガソリンを補給し、昼飯のパンと牛乳を買った。
さて何処で食べようかと思案していたら、
「南信濃村遠山民族資料館」の看板を発見しそこに行ってみた。
戦国時代この地を支配していた、遠山氏の
居城・和田城を模して作られた村営の建物だ。
おばさんの親切で資料館の中で食べさせてくれた。
昔の話や現在若い人達が村に居着かない、といった話を聞かしてくれました。
2階は有名な霜月祭の展示場になっていた。

 しばらくお邪魔した後、真夏の太陽を眩しく反射する、
白いコンクリート道路を再び走り始めた。
上島より遠山川沿いに下栗へ向かう細い道を右折する。
山肌を一車線の細〜い道が、厳しいコーナーを連続してずっと続いている。
よくもこんな所に人が住み始めたものである。
水道も無かった昔の人も大変であったろうに、今でも子供
が学校に通うだけでも大変だろうと思われる。
しかし、昔の人がここに住み着いたからには、
何らかのメリットか必要があって住み始めたのだろう。

         

下栗の山村

 
下栗よりしらびそ高原に向かってエコーラインを走る。
ひたすら尾根上を走る林道だ(現在は舗装済み)。
しらびそ高原は盆休みということもあって、ファミリーキャンパーなど大勢の人がテントを張っていた。
人の大勢居るところは落ち着かないので早々に後にした。

 地蔵峠を下ったすぐの所を、東に向かって伸びる林道に寄り道してみた。
次のコーナーで引き返そう、う〜んヤッパリ次のコーナーで・・・・・・
と言いながらコーナーを抜けるたびにアクセルを開けてしまう。
結局15qほど走ったろうか、こんな林道の山奥にキャンプ場があり、
名古屋方面の四駆の連中がオートキャンプをしていた。
更に走ると見晴らし台があり、遂にこの道も行き止まりとなった。
 再びR256に戻り、弘の田より右折して
江戸時代の豪農であった松下家を少し見学した。

およそ地元の人しか使わないと思われる、
農家の軒先道をゆっくり雰囲気を味わいながら山を下って行く。




大鹿村 福徳寺 永暦元年(1160)創建


 
小渋川に掛かる小渋橋を渡るとR256はT字路となる。
左はR256、右は林道で小渋温泉。
日中の猛暑も和らぎ始めた午後4:00、本日の野営地は小渋川の河原
だなぁと決定し、大鹿村大河原付近を探検する。
ガソリンを補給しビールとパンを買った。

 小渋温泉の村営保養所にて湯に浸かる。
遠山、高遠の谷には温泉がいくつかあるが、
どれも小さい温泉ばかりだ。湯から上がって汚い靴下を履き、河原に降りる。
流れに近いところにグランドシートを広げ、シュラフを放れば寝床の完成だ。
おおかた酔っぱらった午後7:00頃、星空を見上げてシュラフに入り、
本日の眼球の使用を停止した。

                                                
    
二日目は分杭峠を目指した。何度も通った峠だ。
以前から興味があった浦という集落に行ってみた。
峠の東側に位置し、長い一本道の最奥どん詰まりにある。
ゴーストタウン(ビレッジ?)のように静まりかえっている。
集落内を探検していると、なんと平重盛の墓を発見した。
壇ノ浦で破れた平家の公達はこんな所まで逃げてきたのだ。
海もないのに浦(ウレと発音する)という地名はどうして付いたのか。
チョット調べたくなっちゃうね。隠棲時は7軒であったらしいが、
一時は90軒近くまで増えたこともあるらしい。
現在は数件ほどしか住んでいないようだ。
浦に住んでいた人達は皆、平家の落人で全員“小松”姓を名乗る。

    
      

                                             

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