『軍曹の貧乏旅行』


信州 大平に住む武田の末裔

                                 1991.1.2〜1.5

 ある雑誌で、旧大平宿は現在廃村になっている・・・・という記事を読んだ。
もう堪らない。
行くべし!現況をこの目で見て来るべし!
正月休みを利用して出掛けることにした。


 STRANDEDの年末恒例GIGをブーブーに酔っぱらってこなし、元旦友人宅
で新年の宴によばれ、1月2日6時30分に自宅を出発した。
 R151を大平方面に曲がってしばらく走ると、道路は除雪されていなかった。
廃村で誰も住んで居ないのだから当然である。
15:30頃ようやく大平に到着した。
昔の宿場町の町並みがそのまま残っており、当時の繁栄を垣間見ることが出来る。
 誰も居ないその宿場町を一人探検していて気がついたのだが、
どうも夏の間は都会の人達が飯田市内にあるスポーツ店に許可を取り、
この古い宿に宿泊に来るようだ。玄関引き戸にその連絡先が張ってある。
しかも公衆電話が一つ寂しく街の中央にたたずんでいた。

 廃村の筈が、ある一軒の煙突から煙りが上がっていた。 
廃校になった小学校のグラウンドにテントを張り、
沢で水を汲んで得意の白豚を作った。
白豚とは白菜と豚肉をしょうゆ、砂糖で煮込んだすき焼きもどきで、
メシもいけるし酒も呑める超簡単な僕得意の野宿料理である。
しかしアルコールは口にしなかった。
なぜなら前の二日間しこたま呑みすぎたからだ。
冬の夜は早く、18:00にはシュラフにもぐった。

 翌朝目覚めは遅く6:30に起床。
昨夜の白豚を冷たくなった飯盒の米に入れて暖め、飯盒の洗浄も兼ねてきれいに平らげた。
食器の片づけをして日記を書いていると、足音が近づいてきた。
「おはようございます」と声を掛けてきたのは,白髪のおじいさんだった。
おじいさんの話に依れば、この辺りは自殺の名所で
何人もここで首を吊っているそうだ。
昨日の夕方僕がバイクで来たので心配になり夜、
森の中を探してくれたそうなのだ。
(そそそそ、そんなことを知っていればこんな所にキャンプしなかった!)

 そのおじいさんのご厚意でおじいさんのお宅でお茶を頂いた。
家に戻ったおじいさんが奥さんに最初に言った言葉、
「おうぃっ 生きてたぞっ」にはチョット参ったけどネ。
おじいさんの家には先客がいた。
近くの高森町で○○○○という喫茶店を営んでおられる○○さんだ。
小学生の息子さんを連れてきていた。

 
   大平へ向かう道中 楽しい道程だった

 おじいさんは武田という名前で、あらゆるジャンルに於いて
深い見識を持っておられ、話を聞いていて飽きない。
禅の坊さんでもあるそうで禅の難しい話になると、
いつも座禅を組んでいる武田さんの傍らに置いてある、
硯と筆で半紙にサラサラッと書いて説明してくれる。
アインシュタインが相対性理論を発表するずっと以前に、仏教では色即是空 
空即是色と理解していたこと、本田宗一郎と若い頃馬鹿をして遊んだことなどなど。

 部屋には昔の槍や弓などの武具があり、
囲炉裏では奥さんがお茶を入れてくれた。
武田さんの話の中で最も驚いたのは、武田さんの家系図を見させてもらったときだ。
大きな巻物を部屋に広げると、最初に清和天皇とある。
その後僕でも知っている源氏の名がズラーッと続き、
途中から武田に変わって信玄の名前も出てくる。
最後に武田さんの名前が載っていた(元服すると名前が変わっていく)


囲炉裏端で話をしながら一日過ごした。お粥が旨い!

 話に依れば清和天皇を源とする源氏の流れだそうで、
武田信玄などもその一族なのだそうだ。
この源氏一族は昔から他の血を入れずに子孫を残してきたので、
次第に血が濃くなりすぎて、女が産まれなくなり34
代目の信春さんで遂に男も女も産まれなくなったというのだ。
代々伝わる合気道、武術、馬術などを免許皆伝出来る子孫が誰一人居なくなり、
私たちが絶えれば武田も終わると言っていた。

馬が好きでサラブレッドを2頭飼っていた。
 武田の馬術とヨーロッパの馬術の違いとかを説明してくれて、馬に乗せてくれるという。
バイクは自信があるけど本当の馬は初めてだった。
奥さんが手綱引いてくれたが、視点が高くてビビッた。


サラブレッド馬(2頭の内、小さな方)に乗せてもらった。手綱を引いているのは奥さん。

         

 結局夕方までお邪魔してしまい、どうせなら・・・
と一晩泊めて頂くことにした(テントはそのまま)。
奥さんのお粥が旨かった。
今までお粥をおいしいと思ったことはなかったけれど、
囲炉裏端でお膳に乗せられたお粥、吸い物、たくあん、塩で頂くと実に旨かった。
 翌日昼近くになって、お礼に野宿用食料の野菜を差し上げ大平を後にした。
途中湯谷温泉近くでもう一泊して自宅に帰った。
いやぁ今回の旅は大きな収穫があったぞ!と大満足でした。

 後日お礼の手紙を出すと封筒に入れられて帰ってきた。
地元郵便局局長の記によると、大平は行政的に配達区域外に
指定されていて配達出来ないと言うのです。
しかもあの方とどういったお知り合いでしょうか?なんて書いてある。
同封された地元新聞の切り抜きには、
「大平で仙人の生活をする武田信春さん・・・・」と紹介されていました。
手紙は届かなかったけど
そんなに深く考えなかった。


 しかしこれで話は終わらない。
ツーリングから帰ってしばらくした頃、武田さんから連絡があった。
馬の餌が無くなってしまい馬小屋で暴れて困っているというのだ。
武田さんは自動車の免許が無いので、
急いで餌を欲しいのだがどうにもならないらしい。
一宿一飯の恩義もあるので僕が届けてやることにした。

 しかしチョット待てよ・・・
そう言えばあのとき高森町の喫茶店をやってる○○さんも居たなぁ。
○○さんのお宅は近くなので連絡してみれば、きっと武田さんの窮地を知っているはずだ・・・・
と思い、NTTの104で長野県高森町の○○○○という喫茶店を調べて電話してみることにした。

 電話に出たのは奥さんらしく、
「突然すいません、先日大平の武田さん宅で○○さんとご一緒になった者ですが・・・」
といきさつを説明すると、
「いろんな話を聞かされたでしょ、あなたも騙されちゃダメよ」
と言うではないか。
「家の主人にも行くなと言ってるんだけど馬鹿だもんだから、
服を持っていったり、野菜や米、馬の餌をせっせせっせと運んでいるの。
地元農協はお金を払ってくれないから相手にしていないし、
あそこの家の家主も家賃をずっと貰って無くて、立ち退いてくれと言ってるの。
どこからやって来たのか知らないけれど、家系図は
嘘っぱち、武具は骨董品屋で買った物。大平にやってくるバードウオッチャー
やハイカー、山菜採りの人達を捕まえては家に呼んで、あなたが聞かされたよ
うな話をしては泊めていくの。こっちに来ちゃダメよ。」
と言う事であった。
 
 なにゅぅ〜!どうしたもんか。
とにかく行ってみよう。まずは先輩(リューボー)にジープを借りに行った。
リューボーは「そんな奴の所へ絶対行っちゃいかん。」と断固反対したが、
とにかく無事に帰ってくるから・・・と言い張りジープを貸して貰った。
大平に行く前に喫茶店○○○○へ行ってみた。
 モーニング中のその店のドアを開けると、奥さんはすぐ察しがついたらしく
「まぁ!本当に来ちゃったの!あなたも本当のお人好しね!!」と呆れた様子だった。
コーヒーを頂きながらいろいろ‘この辺り’の説明を聞かして貰った。
  それでもここまで来ちゃったし、ましてや‘お人好し’にも餌まで買っちゃた
し、武田氏の正体を自分で確認したかったので行くことにした。
峠の手前まで奥さんと馬を引いて待っていた。
餌を降ろしここへ来るまでのいきさつを説明し始めると、
武田氏の形相はみるみる内に変化し今にも襲い掛かってきそう
になってきた。ジープに乗ってドアを閉めて走り始めても、武田氏は窓に顔を
突っ込んでまくし立ててきた。最後は無理矢理振り切ってきたのだった。



お人好しも度が過ぎるとアホというようなお話でした。僕が24歳の時の事でした。
チャンチャン。


 PS: この事件の数年後、新聞のテレビ欄でNHK教育番組「馬に乗ろう」だっ
     たか「馬術」だったか忘れてしまったけれど、その番組の出演者に「武
     田信春」と出ていたのを見つけたときには自分の目をマジで疑いまし
     た。その番組は結局見ることは出来なかったけど。
      武田氏の真相はいかに・・・・・・。誰か知っていたら教えてください。


いやぁ旅って本当に面白いねぇ。


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