SSKI

                  マッツー  (g・vo)
                  マサヒロ  (g・vo)
                   カツミ    (vo)
    夜になるとラジオから「あんたのバラード」という曲が流れ「こんば
  んわ、おおいしごろうです」というのを毎日聴いていたような気がする。
   それは“コッキーポップ”という番組でヤマハ系ミュージシャンのツイ
  スト、チャゲアス、石川優子、クリスタルキング、谷山浩子、中島みゆ
  きなどをよく掛けていて、アイドル系歌謡曲とはなんか違うな、と感じて
  いた。

   NHKの洋楽番組も聴き始め、スーパートランプ「ブレックファスト・イン
  ・アメリカ」やバグルス「ラジオスターの悲劇」とかがお気に入りでした。
   友達の家に遊びに行くとお兄さんのビリージョエル「52番街」のLPが
  あり、ステレオで何度も聴かしてもらったものでした。(「52番街」は現在
  も車に常備してあるほどお気に入りのアルバムなのです。)


   当時は第一次ディスコブームでアラベスクやビレッジピープル、ビージー
  ズ、ロッド・スチュアートなどがヒットしていたのです。そんな頃、
KISS
  の「シャンディ」がRockとの出会いとなり、以来KISSの大ファンとなってい
  きました。

 
 
【注: 一発屋でナック(超有名な“マイ・シャローナ”!)、ノーランズなども
     忘れてはかわいそうでしょう。】



 
そんな中、ギターを弾ける同級生を無理矢理誘って、初めてバンドを組んだ
のです。個人的な趣味でその名は“SSKI”(スッキ・・・・KISSの逆です)。しか
し他のメンバーは松山千春、アリス、長渕剛などフォーク&ニューミュージック
を音楽的指向としており、多勢に無勢(エレキギターもドラム無いし)、練習す
る曲は「顔」「銀の雨」「巡恋歌」「秋止符」などでした(どれも良い曲でした)。
ギターケースを担いで、坊主頭の中学生が自転車で集まり練習を重ねていっ
たのです。
 
 「ぶいちのおなら」「地獄の池高1年生」などのオリジナルソングもありました。
アルバムと称して46分カセットテープに歌を吹き込み(通算3枚発表)、同級生
に発売(無料配布?)しては楽しんでいたのです。私にとってそのカセットテープ
は今や宝物であります。ちなみにリードギターをしていたマッツーのギターとボー
カルは、今でもかなりハイレベルであった思っている。
 
 中学生3学期に初Liveを敢行。学校近くの公民館を貸し切り、同級生を大勢
呼び冬というのに海パン(私だけ)でステージに立ったのです。ギター3本と灰皿
、お皿を椅子に並べたドラム(?)だけの楽器構成でした。 記念すべき僕の初
LIive となりました。
 KISS クリックしてネ。

 1973年アメリカでジーン・シモンズ、ポール・スタンレー、エース・フレイリー、ピータ
ー・クリスの4人で結成されたバンド。中学生の時に出会って以来、僕の中で夢を与
え続けてくれたバンドです。
 リッチー・ブラックモアやマイケル・シェンカーに憧れていた、日本の早弾きギター
キッズは目もくれなかったフシがあるが、メタリカ、スキッド・ロウなど90年代に活躍
したUSAメタルバンドのギタリストの多くが、少年時代KISSのエース・フレイリーに
憧れてギターを始めていたのだ。 どうだ参ったか
 今や若い人たちは知らない人の方が多いだろうが、70年代アメリカの一つの文化
でもあった。ピーター・クリスが脱退して以来、幾多のメンバーチェンジを繰り返して
きたが、最近オリジナルメンバーが戻り(ピーター・クリスはまたも脱退したが・・・・
・)精力的に活動を行っている。東京ドームのチケットが入手出来る迄(前田さん、
ありがとう)、まさか生きてる内にメイクのKISSを生で見られるとは思ってもいなか
ったので、ステージが始まったその瞬間涙がこぼれました。


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